女子教育の先駆者 津田梅子
幕末〜昭和を生きた日本における女子教育の先駆者 津田梅子の略史年表。2024年度から日本の新五千円紙幣に肖像画が使用される。
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| 西暦 | 出来事 |
|---|---|
| 1864 | 江戸の牛込南御徒町(東京都新宿区南町)にて生誕 父親は幕臣だったため徳川幕府崩壊とともに失職。 |
| 1869 | 向島(墨田区)へ引越し 父親が築地のホテル勤務を始めたことがきっかけで引越し。 |
| 1871 | 麻布へ引越し |
| 1871 ~ 1882 | 岩倉使節団に随行して渡米 黒田清隆が企画した女子留学生に応募し、最年少の満6歳で選出された。梅子の他に上田悌子、吉益亮子、大山捨松、永井繁子の4人が選出。 |
| 1873 | フィラデルフィアにてキリスト教の洗礼を受ける |
| 1878 | 私立の女子校へ進学 自然科学、心理学、芸術に加えてフランス語、ラテン語、英文学などを学ぶ。 |
| 1882 | 高校を卒業して帰国 7月に卒業、11月に帰国。幼くして留学したため日本語が拙かったり、文化の違いに苦労する。父との確執も深まる。 |
| 1883 | 夜会にて伊藤博文から下田歌子を紹介される 伊藤博文に通訳兼英語教師として住み込みで雇われる。下田歌子から日本語を学ぶ。 |
| 1885 | 華族女学校で英語教師として教鞭をとる 華族女学校は学習院女学部から独立して設立された。上流階級の気風に馴染めず3年ほどで退職。 |
| 1889 ~ 1892 | ブリンマー大学に留学のため再び渡米 生物学を専攻する。1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞することになるトーマス・ハント・モーガンに師事。 |
| 1891 | 日本人女性の留学を支援する活動を行う 日本婦人米国奨学金制度を設立、募金活動や講演などを行った。 |
| 1892 | 帰国して再び華族女学校に勤務 |
| 1894 | 明治女学院の教師を兼務 |
| 1898 ~ 1900 | 女子高等師範学校の教授となる(兼務) 高等女学校令、私立学校令が公布されたことをきっかけに辞職。 |
| 1900 | 女子英学塾(現在の津田塾大学)の設立を申請 |
| 1905 | キリスト教女子青年会(YWCA)が設立され初代会長に就任 |
| 1909 | 女子英学塾が開校して塾長となる 華族・平民の区別なく女子教育に従事。当初は厳しさのあまり退学者が相次いだ。戦災で校舎は失われ、1948年に津田塾大学として開校。 |
| 1919 | 病気を患い塾長を辞任 鎌倉の別荘にて療養 |
| 1929 | 脳出血のため鎌倉にて死去(64歳) 生涯独身を貫いた |